狭小ガーデニング日記

庭は奥行120センチ×日陰×時間がなくても、楽しいガーデイングを。

必要性と上達を感じるかどうか。

人間が学ぶ、ということに興味を持っていますが、

仕事でロンドンに引っ越ししたママ友が

送ってくれたメッセージに

やる気を維持するのはやっぱりこれかと思う言葉がありました。

 

小学生の息子さん、日本でも英語を勉強していたのですが、

あまり勉強熱心ではなかったそうです。

それが、ロンドンに行って

毎日学校で英語で過ごすと、

「必要性と上達を感じると親が言わなくても

勉強しますね」

ということだそうです。

 

そうなんですよねー。

結局。

この二つを感じる環境があるか。

これがモチベーションには決定的な気がします。

 

となるとですよ。

英語を例にとると、

日本国内ではとりあえず必要性がないわけで(-_-;)

特に子供の場合は

必要性があったとしても

それは人生のずっと先のこと。

今すぐじゃない。

ここが難しい。

 

それと上達を感じるかどうかも。

ま、日本の学校に通う学生なら

上達を感じるシチュエーションはない。

だから人為的にこれだけすすんだら

シールを貼るとかするんでしょうが、

全然効かないか、

効いたとしても短期的。

 

もちろん、コツコツとこういうのを貯めるのが

好きな子。

そういうタイプには効果ありますけど。

 

そうじゃないタイプ(は人口の中でかなりの割合な気がします)

はどうしたらいいか。

 

直観的にですが、

「ご褒美」は勉強の内容、英語だったら

英語そのものが上達して得られるものであることが

一番な気がします。

英語が通じる、ということ。

 

人為的なご褒美、

例えば

頑張ったらお菓子がもらえる

とかは、英語自体をやる喜びにはつながらない気がするんです。

だからそのご褒美に興味がなくなったら終わり。

 

ここが難しいところなんでしょうね。

今は問題だけで答がでませんが

でも、ママ友にはよい気づきをもらって

感謝したい気持ちです。

どうせなら一粒で二度おいしく。仕事をしながら効率化も考えて。

翻訳中です。

 

普段は通訳だけですが、

恩師からの

それも今まさに興味のあるコーチングがテーマとなると

断るはずがありません。

 

でも、大量です(!)

年末他にしたいことがいっぱいの中で

こなさなければなりません。

 

となると集中が大事!

 

そこでカフェに通っています。

家にいると気の散ることが多すぎ!

普段特段したくない家事まで

気の散るもとになります。

 

その他にも、速く進むためいろいろと工夫を…。

置換機能を最大限利用する。

はもちろん、

全体のスケジュールをはっきりさせて

さらに1時間当たり何ページ進めばいいか決めて、

1時間ごとにアラームを鳴らす。

これで刺激の少なくなりがちな一人作業に

努力→達成感

のサイクルを生んでいます。

 

さてあと5日ほどでやります。

5日でやるというのもものすごくチャレンジングな量なのですが。

 

やりながら、効率よい翻訳攻略法も並行で考える。

どうせやるなら、一粒で二度おいしく行きたいです。^^

 

 

 

 

モルタルなしでレンガの花壇  

【この記事の半年後、2017年4月前後から実際に花壇を作りました。↓】

http://coolandwarm.hatenablog.com/entry/2017/04/05/234736

夜中に仕事をしていると、

メールを書きたくなったり、

掃除をしたくなったり、

エスケープというやつですね。

 

ゲームをやる人もいれば…

音楽を聞く人もいる…

 

色々あるでしょうが、

私の場合は

「手を動かすこと」が多いです。

裁縫とか庭とか。

 

そして今日のテーマは

レンガで花壇を作る–その発注。

 

エスケープとはいえ、

ずいぶん前から構想はありましたし、

やることは決めていましたけれど、

結構大掛かり(笑)なプロジェクトです。

 

でも、いつもの通り、

できる限り簡単に!かつこだわりの部分のイメージは完璧に!

 

そこで、モルタルなしのレンガを積んだだけの花壇を作ります。

アンティークもののレンガでお手頃なものがあったのでそれをチョイス。

 

しかし、鍬(くわ)とか砕石とか買っちゃいました。(^^;

農家出身の父譲りだなぁと思います。

幼いころ、父が休暇中、よく鍬や鋤を使っていて、

私も手伝う、というかまねをしていました。

クッと嚙み合った土を力をいれて引っ張ると快感だったのを覚えています。

 

ほんと、幼いころに触れたことって残るんだな~。

 

この度は初めての花壇作り。

注文したレンガの重量、全部で300㎏超え。(;´・ω・)

 

どうやりますやら。

 

今年はコーチングやら娘のバレエのレッスンやらで

新しいことに曝されて、

初めてのことにチャレンジするのに慣れてきたので

枠から飛び出てみるのが平気です。

 

そういえば、今日もコーチングの先輩を相手に練習をさせてもらいました。

練習中は失敗しても大丈夫だ!とばかりに

あれこれ試してみました。

 

楽しいです。

さて、翻訳をもう少ししてから寝よう。

何にも邪魔されず、ガーデニングのデザイン。

出先で3時間空きました。

 

しかも翌日の資料も何も持たず。

 

どうしよう?と思いましたが、

スタバもある大きなオフィス。

 

自宅と違って、

何にも邪魔されず、とても集中して

うちの庭のデザインを考えられました。

スマホもあればリサーチもできるし。

 

やっぱり好きなんだな~こういう作業。

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だいたいこれで固まったけれど、

コスト面を考えて、

これから少し練ります。

 

冬、仕事が暇なときに実行できますように。

 

「習うよりうつれ」―体得ってこういうこと?

体得、ということを意味するのに

「習うより慣れろ」とよく言いますが、

この秋色々ありまして、

さらに進めて「習うよりうつれ」と言い変えたくなりました。

 

これまでの私は「習う」という過程をこんな風に考えいました。

  1. 人ができることを見て↓
  2. それを脳で分析し↓
  3. 自分の体への指示に書き直して↓
  4. 指示を体に送り↓
  5. 実行する

脳を経由するパターン。

これって、多分私だけじゃないですよね?違うでしょうか。

 

でも、今年出会った古武道の先生は

本当に体の使い方を「触らせて」うつしてくれました。

(びっくりなのですが、本当に瞬時にして今までできなかった筋肉の使い方ができるようになりました。)

 

そして娘のバレエの先生も

どう見てもうしているとしか思えないことがあります。

娘が目で見て写し取ったのではなく、体から直接うつったとしか...。

 

とはいえ、自分の目で見ていても、私自身、半信半疑でした。

 が!ふとしたことでダメ押しのように同じようなことがありました。

 

実は私、今、コーチングの講座に行っており(ハートフルコミュニケーションというところデス。(#^.^#))そこで「任せる」ことの大事さを学びました。

でも、私にとってはここがとっても難しかったんです。

例えば、宿題をしない子供に対してはこんな感じで…↓

 

 任せる…任せるんだ…やっていなくても任せたから…何も言わないぞ…

 あ~でも見ていられない…いや、ここで口出ししたら任せてないことになる…

 あ~~あ~~でも我慢できない!!!

 「はやく宿題しなさーい!」(`Д´)

 

で、自己嫌悪。

 

頭で分かっていること(口出ししない)をするために「必死で我慢」していました。

 

それが、学芸大附属小学校で教える沼田晶弘さんの「ぬまっちのクラスが「世界一」の理由」という本を読んで、あ、なんだこの感じ?私の中に生まれたこの感覚は?

ってなったんです。

「任せる」が頭で分かったんじゃなくて感覚的なものとして分かったといえばいいでしょうか。

 

もちろん、沢山トライして十分な数の失敗(泣)をして多少の「任せる」筋肉が

ついていたのかもしれませんが、それにしてもうつりました。

見事に。

 

古武道の先生が言うように、

「もうだいじょうぶ。一度うつったらずっとできる」みたいです。

 

「任せる」感覚がうつってしまったその後は、

こどもと話していても、できないことじゃなくて、できることも注目できて、

「高次元のことができてれば、細かいことは別にいいか」と余裕が出てきた。

嘘みたい。。。

「任せる」ができるようになったおかげか、

こどもも自律的にやってるじゃないですか~。嬉しい~。

 

どうやら私には学ぶということに固定概念があったようです。。。

「習うよりうつれ」が体得できて、

本当に素晴らしい収穫の秋になりました。!(^^)!

良貨は悪貨を駆逐する!?ベタでダサい最高の簡単な自分の操縦方法。

え?

悪貨は良貨を駆逐する、と思われたでしょうか?

 

その通り。

辞書に載っているのはその語順で正解です。

 

でも、そうとは限らないんじゃない?

むしろ、逆手に取って自分を正しいベクトルに向けられるんじゃない?と思ったんです。

 

こういう話があります。

抗菌剤や殺菌剤で手あたり次第、身の回りをきれいにしたつもりでも、

無菌室でもない限り、そうやってできた無菌の環境はまたあっという間に微生物で覆われてしまう。

 

ならば、「健康に良い」細菌で覆われるようにすればいいではないか。

それが健康的な環境じゃないか?

これは、あるきっかけで聞けたオレゴン大学教授ジェシカ・グリーンさんの話です。

グリーンさんはアメリカの建築空間と生物学の関係を研究する機関「BioBEセンター」の初代所長でもあります。

 

彼女の研究によると、

ある病院で窓を閉め切り、空気清浄機で病原菌を取り除いた空気を循環させているより、窓を開けていた方が患者にとって良い環境だったそうです。

なぜか?

それは窓の外に緑があったから。

人体の健康に良い細菌はしばしば樹木や土に住んでいる、その細菌が窓から入ってきた。

一方、窓を閉め切っていた方は、フィルターで細菌を拭い去って空間はいったん「きれい」になったものの、あっという間に人体から出る病原性の細菌が繁茂したからでした。

 

ジェシカ・グリーンさんのスピーチが聞けるTEDのサイトを入れておきます。

ジェシカ・グリーン: 私たちを取り巻く細菌と住環境のデザイン | TED Talk | TED.com

 

この話を聞いたときは衝撃を受けました。

なるほど!

「無菌」ってないんだーって。

では、健康的な菌で埋め尽くさなきゃ!

 

さて、その考え、もちろんすごい衝撃でしたから私の頭にずっとありましたが、

そうはいっても頭のおくーの方に置きっぱなしにされていた昨日、

私はある企業を訪れました。

 

その名前は言えませんが、多分、今、世界中でトップレベルのイノベーションを生んでいる企業です。

そこで見たものは

インスピレーションを与える言葉が印刷されたおびただしいA4の紙。

あちこちに貼り付けてあったのです。

 

そうか!

人間の頭も一緒だ!

 

マイナス思考はしたくない。

でも、小人閑居をもって不善をなす、

というのとちょっと似ていますが、

本当の空っぽ、という状態はそう保てるものではない。

じゃ、頭の中を常にプラス思考でいっぱいにしておけば

いやな考え方はしないんだ、ということ。

 

何をもって「プラス」「マイナス」とするかは個々人の価値観で違うでしょうが、

とにかく、嫌な考え方はしない、なんて頑張っても

人間は何か考えてしまう。

なら、いい考え方でいっぱいにすればいいじゃない!

 

だから、良貨は悪貨を駆逐する、なんです。

これって、いいなぁと思う言葉の日めくりなどで昔からある方法ですけど、

今回はガツーンと来ました。

 

ある意味、ださーい、べたな方法には見えるけれど、

やろう!!!!!

と思いました。

だって、そうやってやっている人はやっているんですから。

そんな簡単な方法で、自分を自分が行きたい方向に向けていられれば、

やらない手はないです。(^^)

 

落ち込んで、でもただでは起きないよ。―「仕事のミスが絶対なくなる頭の使い方」と「やり抜く力」を読んで。

この本には、どれほど救われたか分かりません。
 
どうすればよいかというHow toが沢山書いてありましたが、
 
人に責められ、自分も嫌になり、つらかったですね、という下りでは涙がでそうになりました。そうなんだよな~。ちゃんとできていた人はわからない、そんなん甘ちゃんやと思うかもしれないけど、私の気持ちは正直救われました。
 
その後、上記の本にも出合いました。
 
そして、アンジェラ・ダックワースの「やり抜く力」にも。
 
この三冊を読んで見えてきたことがあります。
 
それは、
ちゃんとする、というのにも方法がある。
 
そのちゃんとする方法をしらなければ「一生懸命」「頑張る」なんて無意味。
 
そもそも、ちゃんとできない人は、そういう方法があると気づいていないことが多い。
 
そして、ここからがミソですが、
 
そういうとき、人間は得てして、
ちゃんとできる、できないは「固定された才能」であると思っていて、成長しないと思っている。(ここら辺は「やり抜く力」に出てきて目からウロコでした。)
 
だから、方法なんて探そうともしない。ちゃんとしなくちゃ!と思うだけ。
そして当然できなくて、前よりひどく落ち込む。「私はなんてダメなんだ」と。
でも、そうじゃなくて方法を知って、体得する練習をしていないだけ。
 
もうひとつ、「やり抜く力」にとても大切なことが書いてありました。
 
それは、人間は成長できると信じることを「成長思考」とし、しょせん人間は成長できないという考えを「固定思考」とすると、意外と、自分が優秀と思っている人は「固定思考」を持つという話です。でも、いくら自分を優秀と思っている人でも、いつかは挫折に出会うもの。そのとき「固定思考」だと、ものすごく落ち込むというのです。だって、自分が優秀だと思い込んでいたのにそうじゃなかった、ということになるんですからね。。。
 
さて、私が自分を優秀と思っていたかどうかは別として、「固定思考」が結構強かっただったんですね。
 
だから、ケアレスミスを連発して、ほとほと自己嫌悪に陥った。
 
だけど、よかったです。
そこから抜け出せて。
 
しかも抜け出すついでに、色んなことを学べました。
 
ただでは起きないぞ!
 
でも、自分の人生でまだ足りていないことが、
何かをやり抜くことであるのにも気がつきました。
 
この三冊には本当に感謝します。
 
そして、これからどうしようか、今、どうしようかと考えると
面白い。
ワクワクします。
同時に震える気もしますが、
でもワクワクしている私です。