狭小ガーデニング日記

庭は奥行120センチ×日陰×時間がなくても、楽しいガーデイングを。

「昼休みは外で遊ぼう」

小学校では「昼休みは外で遊ぼう」と指導されているらしい。

 

でも今、ある本にはまっている娘は寸暇を惜しんで読みたいらしく、

図書室にこっそり移動して読んだそうな。

 

その後、授業中も読むわけではないけれど、

本を隠し持っていたのを友達に教えたら、

「先生に言う。絶対にいけない」と言われて明日先生に叱られるとビビっている。

 

まぁ授業中に集中できないから肌身離さず持っていなくてもいいよね、という話をしたけれど、

 

私の本心は「そんなに好きなものがあるっていいね。」

 

もちろん、外遊びや他の人との遊びからも沢山学べるし、

それを奨励する理由も分かる。

だけど、あまりにその形にとらわれなくてもいいんじゃないかなと思う。

 

たまには本に没頭していいんじゃない?

 

ビタミンと一緒で

体が今それを欲しているような気がするな。

 

こっそり図書室に行って読んだ、

なんて、結構素敵な思い出だよね、

と思った母でした。

 

甘いといわれるか知らんけど、いいと思うわ!

引き算の効用

人間は成長すると

自分の子供のころのこと

結構忘れる気がします。

 

子どもの幸せを願ってどうするかというと

あれをやらせたり、これもさせておかなきゃと

考える親は結構多いのではないでしょうか。

 

今の時代、その気持ちを煽る情報が山ほどあります。

早期教育、胎児教育、小学校に上がる前に何かをしないといけない等々。

 

小学生も中盤になると受験が気になりだしたり

自分に子どもができると他の子は何をやっているか。

うちの子は何か教え忘れているんじゃないかと気になる…。

 

この焦る気持ちに乗っとられてしって

あれもこれもやらせようという足し算になる。

私もこの罠にはまったことはあります。

 

まずいことに努力をするのはこどもなので

親はどれくらいしんどいのか分からない。

で、子どもがいっぱいいっぱいになる。

 

自分が子供のころどうだったか?と振り返ると、

ぼーっと考えていた時間が沢山あった気がします。

何かを飽きるまで見ていた時間です。

 

私の場合、庭の花だったり、犬の体だったり、図鑑だったりしました。

今でもなぜかシーツの織り目を見ていたのを覚えています。

あと、目をつむった時に見える模様とか。

きっとそういうの誰でもあるんじゃないでしょうか。

 

ずっと早送りして今度は20代後半になったとき、

自己開発系セミナーにでて「大抵の答は自分の中にある」と

気づきました。

でも答を見つけるために必要なのは邪魔されない一人の時間でした。

きっと周りから見たらぼーっとしていたでしょうね。

 

その年になれば、一人の時間を確保するのは自分の責任ですが、

子どもが幼いころの親の大事な仕事の一つが、

子どもの中に色んな芽が出がでるための

時間と空間を確保することだと思います。

 

そのためには、親自身がざわざわした自分の気持ちに気づいて

要らないものはないかな?と引き算しないと。

 

自戒の念も込めて

引き算のこと考えてみました。

必要性と上達を感じるかどうか。

人間が学ぶ、ということに興味を持っていますが、

仕事でロンドンに引っ越ししたママ友が

送ってくれたメッセージに

やる気を維持するのはやっぱりこれかと思う言葉がありました。

 

小学生の息子さん、日本でも英語を勉強していたのですが、

あまり勉強熱心ではなかったそうです。

それが、ロンドンに行って

毎日学校で英語で過ごすと、

「必要性と上達を感じると親が言わなくても

勉強しますね」

ということだそうです。

 

そうなんですよねー。

結局。

この二つを感じる環境があるか。

これがモチベーションには決定的な気がします。

 

となるとですよ。

英語を例にとると、

日本国内ではとりあえず必要性がないわけで(-_-;)

特に子供の場合は

必要性があったとしても

それは人生のずっと先のこと。

今すぐじゃない。

ここが難しい。

 

それと上達を感じるかどうかも。

ま、日本の学校に通う学生なら

上達を感じるシチュエーションはない。

だから人為的にこれだけすすんだら

シールを貼るとかするんでしょうが、

全然効かないか、

効いたとしても短期的。

 

もちろん、コツコツとこういうのを貯めるのが

好きな子。

そういうタイプには効果ありますけど。

 

そうじゃないタイプ(は人口の中でかなりの割合な気がします)

はどうしたらいいか。

 

直観的にですが、

「ご褒美」は勉強の内容、英語だったら

英語そのものが上達して得られるものであることが

一番な気がします。

英語が通じる、ということ。

 

人為的なご褒美、

例えば

頑張ったらお菓子がもらえる

とかは、英語自体をやる喜びにはつながらない気がするんです。

だからそのご褒美に興味がなくなったら終わり。

 

ここが難しいところなんでしょうね。

今は問題だけで答がでませんが

でも、ママ友にはよい気づきをもらって

感謝したい気持ちです。

どうせなら一粒で二度おいしく。仕事をしながら効率化も考えて。

翻訳中です。

 

普段は通訳だけですが、

恩師からの

それも今まさに興味のあるコーチングがテーマとなると

断るはずがありません。

 

でも、大量です(!)

年末他にしたいことがいっぱいの中で

こなさなければなりません。

 

となると集中が大事!

 

そこでカフェに通っています。

家にいると気の散ることが多すぎ!

普段特段したくない家事まで

気の散るもとになります。

 

その他にも、速く進むためいろいろと工夫を…。

置換機能を最大限利用する。

はもちろん、

全体のスケジュールをはっきりさせて

さらに1時間当たり何ページ進めばいいか決めて、

1時間ごとにアラームを鳴らす。

これで刺激の少なくなりがちな一人作業に

努力→達成感

のサイクルを生んでいます。

 

さてあと5日ほどでやります。

5日でやるというのもものすごくチャレンジングな量なのですが。

 

やりながら、効率よい翻訳攻略法も並行で考える。

どうせやるなら、一粒で二度おいしく行きたいです。^^

 

 

 

 

モルタルなしでレンガの花壇  

【この記事の半年後、2017年4月前後から実際に花壇を作りました。↓】

http://coolandwarm.hatenablog.com/entry/2017/04/05/234736

夜中に仕事をしていると、

メールを書きたくなったり、

掃除をしたくなったり、

エスケープというやつですね。

 

ゲームをやる人もいれば…

音楽を聞く人もいる…

 

色々あるでしょうが、

私の場合は

「手を動かすこと」が多いです。

裁縫とか庭とか。

 

そして今日のテーマは

レンガで花壇を作る–その発注。

 

エスケープとはいえ、

ずいぶん前から構想はありましたし、

やることは決めていましたけれど、

結構大掛かり(笑)なプロジェクトです。

 

でも、いつもの通り、

できる限り簡単に!かつこだわりの部分のイメージは完璧に!

 

そこで、モルタルなしのレンガを積んだだけの花壇を作ります。

アンティークもののレンガでお手頃なものがあったのでそれをチョイス。

 

しかし、鍬(くわ)とか砕石とか買っちゃいました。(^^;

農家出身の父譲りだなぁと思います。

幼いころ、父が休暇中、よく鍬や鋤を使っていて、

私も手伝う、というかまねをしていました。

クッと嚙み合った土を力をいれて引っ張ると快感だったのを覚えています。

 

ほんと、幼いころに触れたことって残るんだな~。

 

この度は初めての花壇作り。

注文したレンガの重量、全部で300㎏超え。(;´・ω・)

 

どうやりますやら。

 

今年はコーチングやら娘のバレエのレッスンやらで

新しいことに曝されて、

初めてのことにチャレンジするのに慣れてきたので

枠から飛び出てみるのが平気です。

 

そういえば、今日もコーチングの先輩を相手に練習をさせてもらいました。

練習中は失敗しても大丈夫だ!とばかりに

あれこれ試してみました。

 

楽しいです。

さて、翻訳をもう少ししてから寝よう。

何にも邪魔されず、ガーデニングのデザイン。

出先で3時間空きました。

 

しかも翌日の資料も何も持たず。

 

どうしよう?と思いましたが、

スタバもある大きなオフィス。

 

自宅と違って、

何にも邪魔されず、とても集中して

うちの庭のデザインを考えられました。

スマホもあればリサーチもできるし。

 

やっぱり好きなんだな~こういう作業。

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だいたいこれで固まったけれど、

コスト面を考えて、

これから少し練ります。

 

冬、仕事が暇なときに実行できますように。

 

「習うよりうつれ」―体得ってこういうこと?

体得、ということを意味するのに

「習うより慣れろ」とよく言いますが、

この秋色々ありまして、

さらに進めて「習うよりうつれ」と言い変えたくなりました。

 

これまでの私は「習う」という過程をこんな風に考えいました。

  1. 人ができることを見て↓
  2. それを脳で分析し↓
  3. 自分の体への指示に書き直して↓
  4. 指示を体に送り↓
  5. 実行する

脳を経由するパターン。

これって、多分私だけじゃないですよね?違うでしょうか。

 

でも、今年出会った古武道の先生は

本当に体の使い方を「触らせて」うつしてくれました。

(びっくりなのですが、本当に瞬時にして今までできなかった筋肉の使い方ができるようになりました。)

 

そして娘のバレエの先生も

どう見てもうしているとしか思えないことがあります。

娘が目で見て写し取ったのではなく、体から直接うつったとしか...。

 

とはいえ、自分の目で見ていても、私自身、半信半疑でした。

 が!ふとしたことでダメ押しのように同じようなことがありました。

 

実は私、今、コーチングの講座に行っており(ハートフルコミュニケーションというところデス。(#^.^#))そこで「任せる」ことの大事さを学びました。

でも、私にとってはここがとっても難しかったんです。

例えば、宿題をしない子供に対してはこんな感じで…↓

 

 任せる…任せるんだ…やっていなくても任せたから…何も言わないぞ…

 あ~でも見ていられない…いや、ここで口出ししたら任せてないことになる…

 あ~~あ~~でも我慢できない!!!

 「はやく宿題しなさーい!」(`Д´)

 

で、自己嫌悪。

 

頭で分かっていること(口出ししない)をするために「必死で我慢」していました。

 

それが、学芸大附属小学校で教える沼田晶弘さんの「ぬまっちのクラスが「世界一」の理由」という本を読んで、あ、なんだこの感じ?私の中に生まれたこの感覚は?

ってなったんです。

「任せる」が頭で分かったんじゃなくて感覚的なものとして分かったといえばいいでしょうか。

 

もちろん、沢山トライして十分な数の失敗(泣)をして多少の「任せる」筋肉が

ついていたのかもしれませんが、それにしてもうつりました。

見事に。

 

古武道の先生が言うように、

「もうだいじょうぶ。一度うつったらずっとできる」みたいです。

 

「任せる」感覚がうつってしまったその後は、

こどもと話していても、できないことじゃなくて、できることも注目できて、

「高次元のことができてれば、細かいことは別にいいか」と余裕が出てきた。

嘘みたい。。。

「任せる」ができるようになったおかげか、

こどもも自律的にやってるじゃないですか~。嬉しい~。

 

どうやら私には学ぶということに固定概念があったようです。。。

「習うよりうつれ」が体得できて、

本当に素晴らしい収穫の秋になりました。!(^^)!