狭小ガーデニング日記

庭は奥行120センチ×日陰×時間がなくても、楽しいガーデイングを。

「習うよりうつれ」―体得ってこういうこと?

体得、ということを意味するのに

「習うより慣れろ」とよく言いますが、

この秋色々ありまして、

さらに進めて「習うよりうつれ」と言い変えたくなりました。

 

これまでの私は「習う」という過程をこんな風に考えいました。

  1. 人ができることを見て↓
  2. それを脳で分析し↓
  3. 自分の体への指示に書き直して↓
  4. 指示を体に送り↓
  5. 実行する

脳を経由するパターン。

これって、多分私だけじゃないですよね?違うでしょうか。

 

でも、今年出会った古武道の先生は

本当に体の使い方を「触らせて」うつしてくれました。

(びっくりなのですが、本当に瞬時にして今までできなかった筋肉の使い方ができるようになりました。)

 

そして娘のバレエの先生も

どう見てもうしているとしか思えないことがあります。

娘が目で見て写し取ったのではなく、体から直接うつったとしか...。

 

とはいえ、自分の目で見ていても、私自身、半信半疑でした。

 が!ふとしたことでダメ押しのように同じようなことがありました。

 

実は私、今、コーチングの講座に行っており(ハートフルコミュニケーションというところデス。(#^.^#))そこで「任せる」ことの大事さを学びました。

でも、私にとってはここがとっても難しかったんです。

例えば、宿題をしない子供に対してはこんな感じで…↓

 

 任せる…任せるんだ…やっていなくても任せたから…何も言わないぞ…

 あ~でも見ていられない…いや、ここで口出ししたら任せてないことになる…

 あ~~あ~~でも我慢できない!!!

 「はやく宿題しなさーい!」(`Д´)

 

で、自己嫌悪。

 

頭で分かっていること(口出ししない)をするために「必死で我慢」していました。

 

それが、学芸大附属小学校で教える沼田晶弘さんの「ぬまっちのクラスが「世界一」の理由」という本を読んで、あ、なんだこの感じ?私の中に生まれたこの感覚は?

ってなったんです。

「任せる」が頭で分かったんじゃなくて感覚的なものとして分かったといえばいいでしょうか。

 

もちろん、沢山トライして十分な数の失敗(泣)をして多少の「任せる」筋肉が

ついていたのかもしれませんが、それにしてもうつりました。

見事に。

 

古武道の先生が言うように、

「もうだいじょうぶ。一度うつったらずっとできる」みたいです。

 

「任せる」感覚がうつってしまったその後は、

こどもと話していても、できないことじゃなくて、できることも注目できて、

「高次元のことができてれば、細かいことは別にいいか」と余裕が出てきた。

嘘みたい。。。

「任せる」ができるようになったおかげか、

こどもも自律的にやってるじゃないですか~。嬉しい~。

 

どうやら私には学ぶということに固定概念があったようです。。。

「習うよりうつれ」が体得できて、

本当に素晴らしい収穫の秋になりました。!(^^)!

良貨は悪貨を駆逐する!?ベタでダサい最高の簡単な自分の操縦方法。

え?

悪貨は良貨を駆逐する、と思われたでしょうか?

 

その通り。

辞書に載っているのはその語順で正解です。

 

でも、そうとは限らないんじゃない?

むしろ、逆手に取って自分を正しいベクトルに向けられるんじゃない?と思ったんです。

 

こういう話があります。

抗菌剤や殺菌剤で手あたり次第、身の回りをきれいにしたつもりでも、

無菌室でもない限り、そうやってできた無菌の環境はまたあっという間に微生物で覆われてしまう。

 

ならば、「健康に良い」細菌で覆われるようにすればいいではないか。

それが健康的な環境じゃないか?

これは、あるきっかけで聞けたオレゴン大学教授ジェシカ・グリーンさんの話です。

グリーンさんはアメリカの建築空間と生物学の関係を研究する機関「BioBEセンター」の初代所長でもあります。

 

彼女の研究によると、

ある病院で窓を閉め切り、空気清浄機で病原菌を取り除いた空気を循環させているより、窓を開けていた方が患者にとって良い環境だったそうです。

なぜか?

それは窓の外に緑があったから。

人体の健康に良い細菌はしばしば樹木や土に住んでいる、その細菌が窓から入ってきた。

一方、窓を閉め切っていた方は、フィルターで細菌を拭い去って空間はいったん「きれい」になったものの、あっという間に人体から出る病原性の細菌が繁茂したからでした。

 

ジェシカ・グリーンさんのスピーチが聞けるTEDのサイトを入れておきます。

ジェシカ・グリーン: 私たちを取り巻く細菌と住環境のデザイン | TED Talk | TED.com

 

この話を聞いたときは衝撃を受けました。

なるほど!

「無菌」ってないんだーって。

では、健康的な菌で埋め尽くさなきゃ!

 

さて、その考え、もちろんすごい衝撃でしたから私の頭にずっとありましたが、

そうはいっても頭のおくーの方に置きっぱなしにされていた昨日、

私はある企業を訪れました。

 

その名前は言えませんが、多分、今、世界中でトップレベルのイノベーションを生んでいる企業です。

そこで見たものは

インスピレーションを与える言葉が印刷されたおびただしいA4の紙。

あちこちに貼り付けてあったのです。

 

そうか!

人間の頭も一緒だ!

 

マイナス思考はしたくない。

でも、小人閑居をもって不善をなす、

というのとちょっと似ていますが、

本当の空っぽ、という状態はそう保てるものではない。

じゃ、頭の中を常にプラス思考でいっぱいにしておけば

いやな考え方はしないんだ、ということ。

 

何をもって「プラス」「マイナス」とするかは個々人の価値観で違うでしょうが、

とにかく、嫌な考え方はしない、なんて頑張っても

人間は何か考えてしまう。

なら、いい考え方でいっぱいにすればいいじゃない!

 

だから、良貨は悪貨を駆逐する、なんです。

これって、いいなぁと思う言葉の日めくりなどで昔からある方法ですけど、

今回はガツーンと来ました。

 

ある意味、ださーい、べたな方法には見えるけれど、

やろう!!!!!

と思いました。

だって、そうやってやっている人はやっているんですから。

そんな簡単な方法で、自分を自分が行きたい方向に向けていられれば、

やらない手はないです。(^^)

 

落ち込んで、でもただでは起きないよ。―「仕事のミスが絶対なくなる頭の使い方」と「やり抜く力」を読んで。

この本には、どれほど救われたか分かりません。
 
どうすればよいかというHow toが沢山書いてありましたが、
 
人に責められ、自分も嫌になり、つらかったですね、という下りでは涙がでそうになりました。そうなんだよな~。ちゃんとできていた人はわからない、そんなん甘ちゃんやと思うかもしれないけど、私の気持ちは正直救われました。
 
その後、上記の本にも出合いました。
 
そして、アンジェラ・ダックワースの「やり抜く力」にも。
 
この三冊を読んで見えてきたことがあります。
 
それは、
ちゃんとする、というのにも方法がある。
 
そのちゃんとする方法をしらなければ「一生懸命」「頑張る」なんて無意味。
 
そもそも、ちゃんとできない人は、そういう方法があると気づいていないことが多い。
 
そして、ここからがミソですが、
 
そういうとき、人間は得てして、
ちゃんとできる、できないは「固定された才能」であると思っていて、成長しないと思っている。(ここら辺は「やり抜く力」に出てきて目からウロコでした。)
 
だから、方法なんて探そうともしない。ちゃんとしなくちゃ!と思うだけ。
そして当然できなくて、前よりひどく落ち込む。「私はなんてダメなんだ」と。
でも、そうじゃなくて方法を知って、体得する練習をしていないだけ。
 
もうひとつ、「やり抜く力」にとても大切なことが書いてありました。
 
それは、人間は成長できると信じることを「成長思考」とし、しょせん人間は成長できないという考えを「固定思考」とすると、意外と、自分が優秀と思っている人は「固定思考」を持つという話です。でも、いくら自分を優秀と思っている人でも、いつかは挫折に出会うもの。そのとき「固定思考」だと、ものすごく落ち込むというのです。だって、自分が優秀だと思い込んでいたのにそうじゃなかった、ということになるんですからね。。。
 
さて、私が自分を優秀と思っていたかどうかは別として、「固定思考」が結構強かっただったんですね。
 
だから、ケアレスミスを連発して、ほとほと自己嫌悪に陥った。
 
だけど、よかったです。
そこから抜け出せて。
 
しかも抜け出すついでに、色んなことを学べました。
 
ただでは起きないぞ!
 
でも、自分の人生でまだ足りていないことが、
何かをやり抜くことであるのにも気がつきました。
 
この三冊には本当に感謝します。
 
そして、これからどうしようか、今、どうしようかと考えると
面白い。
ワクワクします。
同時に震える気もしますが、
でもワクワクしている私です。
 

カフェで読書に集中できるのは?

駅前のドトールが気に入っています。

 

スタバもいいけれど、ドトールも捨てたものではありません。

 

みんな勉強したり、会話をしたり、本を読んだり…

このあたりの知的活動にどれくらい貢献しているか。(笑)

よくいうホワイトノイズのおかげなんでしょうね。

 

私も昨日、空き時間に入って本を読みました。

こんな仕切りの前で。

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私が本を読んでいた時は、向こう側に男女が座って話をしていました。

でも、間仕切りが不透明なので、その会話は無視できて

むしろ、いい感じの雑音になって、読書に集中できました。

 

どれくらいが向こう側を無視できるのかな?

 

きっと「無視できる」のと「見えない」のも違いますよね。

障子の向こうみたいになると逆に気になるかも。

 

きっとこういう研究、世の中にあるんじゃないかな。

 

ということでググってみると

カリフォルニア大学サンディエゴ校で、音によって視覚が向上するという研究がありました。視覚的信号と同じ方向に音による刺激があると信号をキャッチしやすいというもの。(Signal Detection Theoryという理論が言及されています。)

http://www.healio.com/ophthalmology/neurosciences/news/print/ocular-surgery-news/%7B3b21b69f-23e8-4da5-9ff6-7e058629c01b%7D/study-finds-prominent-link-between-sound-and-sight

直観的にはそうだろうな、という感じがします。

じゃ、視覚的刺激があれば、音もキャッチしやすい?

ような気がします。

そんな研究もあるのかも…。

 

もしそうなら、会話の音があっても、

見えないという視覚的なブロックによって、

音に鈍感になるのかなと思うと面白いです。

きっと、その視覚的ブロックのレベルも計算されているんでしょう。

それとも、メーカーやコーヒーチェーンの経験として蓄えられてるのかな?

面白~い!

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というわけで、間仕切りに感謝しつつ、

読書の秋を楽しもうっと。

「ちゃんと、きちんと、はやく」する方法を習う。

ちゃんとしなさい、

きちんとしなさい、

はやくしなさい。

 

子どものころよく言われました。

子どもにもついつい言っていました。

 

でも、親の自分もできていなくて失敗して落ち込みました。

忘れ物をして、遅れることは私のDNAに刻まれている!

と絶望しました。

 

が、

 

それがひょんなことから、「どうやって」遅れないようにして、

忘れないようにするのか、というHow toを読んでみようと思いました。

 

すると、沢山あるんですね!

そういう本。

 

多分、小さいころからしつけているひとにとっては当たり前のことばかりかも。

「夜寝る前に、翌朝持っていくバッグを用意する」とか。

 

でも、当たり前になっていない人もいます。

 

だから、できていない、と𠮟るより、

子どもにもHow toを教えればいいのにな。

学校で教えてもいいと思います。

 

親だって、どうしたらよいかというやり方を

人に示せるほど明確に分かっているとは限らないから。

そもそもちゃんと教えてもらったことないですものね。

 

きっと大事なのはそのとき、

そんなことも知らないのか、

とか、親の中にもそんなこともできない人がいるのか

とか下げずまないこと。

 

目的はできるようになること。

できないのを責めたり、軽蔑するのが目的ではありません。

算数を教えるのに「1+1も知らないの?!」と言いながら

教える先生はいません。(多分。)

 

責めても生徒の心に生まれるのは反感や自己嫌悪だけ。

 

自分が学ぶときだって「あ~あ、私は」なんて落ち込んでいたら

それこそ学ぶこと自体に集中できません。

教えてもらったことがないからできるわけない、というくらいでいいと思います。

 

さて、こうやって学ぶべきことは

時間に遅れない

整理整頓(片付けについては、近藤麻理恵さんも沢山の人が片づけなさいと言われるばかりでやり方を教えられていないからしかたないという趣旨のことをおっしゃっています。)

忘れない

コミュニケーションミスを避ける

などなど色々ありそうです。

 

延長線上には

スピーチなんかもありそうです。

 

がみがみ怒るより、How toを学んだか、How toを教えているか、

を考えるのがよさそうですね~。

 

 

スマートカッツ ― 子どもの教育をどうする?

「時間をかけずに成功する人 コツコツやっても伸びない人 SMARTCUTS」

という本を読みました。

賢い近道ってなんだろう?という話。

 

テーマは

「限りある時間をどう効果的に使って夢を実現するか」

で、今の時代に使える技術を使うなど、そのための方策が紹介されています。

 

事例としてフィンランドの教育システムが出てきます。

なんと九九暗記を放棄(!)して、代わり電卓を使わせ、

ものの考え方とか調べ方を教えることに時間をかけているようです。

 

今の日本で(というか著者の母国であるアメリカでも)

「九九をやめます」なんていったら大論争が起きそう。

本当に九九をやめるか、は私もまだ異論がありますが、

(覚えていると便利だから。)

 

そういう目で今の小学校のカリキュラムを考えてみると、

そこに時間をかけるのかという疑問が湧いてきます。

 

例えば小4の算数では、

3けた÷2けたの筆算

3けた×3けたの筆算

などを、少なくともここ数週間はかけています。

 

ん~、確かに仕組みをわかることは大事かもしれない。

しかし・・・大人になってこれを筆算ですること少ないですよね。

数週間かけるなら、他にできることある。

 

というか、他にしないといけないことがある。

 

住んでいる都道府県の市町村名をすべて書いてくるという夏休みの宿題もありました。

結構大変な数の市町村でしたが(^^;

何を教えたいのかな???

地理の調べ方を教えたいのか(ならば地形や歴史を一緒に教える)?

行き方を教えたいのか(ならば電車の路線を教える)?

 

リコーダー

結構長い間やっていますが、不得意な子供もいます。

リコーダーを習うこと自体は反対はしませんが、

問題はこれができないから音楽の点が下がったら

「私は音楽が不得意だった」と思い込んでしまうことだと思います。

リコーダーが不得意だったというだけ。

人生には影響ありません!

譜面が読めないから歌が歌えないという人もよくいますが、

これも違いますよね?

 

デシリットル

大人になって使いません!!

 

などなど、思いつくだけでもこれだけ挙げられます。

全部、どうしても必要なものではない。

あればいいけど、という内容です。

でも、限られた時間の中で子どもが社会に出る準備をしないといけない教育で、

そんな悠長なことを言っていてよいのでしょうか?

 

もちろん教育の見直しはされていないとはいいませんが、

まだまだ足らないと思います。

どういう能力を身に着けてほしくて、

そのために何をどう教えるのかを

もっともっと煮詰める必要があります。

それも頻繁に。

 

実はこういうことを象徴的に表すもの、

それは、ランドセルだと思います。

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こういう絵をみると可愛いな~と思いますが、

実は…

重い。

 

大人は重いバッグを持たなくなりましたよね。

 

依頼主(親)と受け手(子ども)が違い、

しかも受け手は経験が限られているので

受け取ったものを無批判に受け取る、という象徴

と私は思っています。

 

そういう危険性をはらんでいるということを

私たち大人は肝に銘じて「教育」を見直しつづけるべきだと思います。

諦めて、受け入れて、認めて…そして工夫する。

自分を認める。

 

すごくうっかりやさんです。

うっかりやさんという可愛い響きでは伝わらない。

 

勘違い、時間に遅れる、計画実行がへた、忘れ物が多い。

 

それって注意不足じゃない?

やる気がたらないんじゃない?

 

と言われそうです。

 

いえ、自分でもそう思っていました。

そして毎回、自分をいじめてきました。

 

が、色々ありまして、

一生、生きてきて初めて新しい見方をすることにしました。

 

そういう脳なんだと。

 

諦める力、です。

 

でも、諦める、だからできることもあります。

 

今までは「努力しなきゃ」

→これからは

「どうしたら忘れないようにするか」

ないしは

「どうしたら忘れても実害がないようにするか」

 

こういう見方は諦める=事実を受け入れることで生まれます。

 

で、もって今色々模索中。

 

まずは前日にスケジュールを書き出して、自分の計画に漏れがないか確認する。

行先に応じて必要な物を書き出してみる。

私はスマホのタイマーを使っていますが、

それ専用のタイマーを買うのもいいな。

 

学校のように

家族それぞれの「時間割」を作って

今日はこれ、って貼っておくのもいいな。

 

とか。

 

要は実害がでないようにすればいいわけですから。

 

でも、諦めたって別に落ち込みません。

だって一方で人よりうまくできることもありますから。

 

バラの樹にユリを咲かせろ~といっても仕方ないのと一緒です。

バラにはバラの花が、ユリにはユリの花が一番美しく咲きます。

というか、バラにユリの花は咲かない、ですね。(笑)

そして、

バラはバラなりの、ユリはユリなりのお世話の仕方があります。

 

人間もそれと一緒。