スマートカッツ ― 子どもの教育をどうする?
「時間をかけずに成功する人 コツコツやっても伸びない人 SMARTCUTS」
という本を読みました。
賢い近道ってなんだろう?という話。
テーマは
「限りある時間をどう効果的に使って夢を実現するか」
で、今の時代に使える技術を使うなど、そのための方策が紹介されています。
事例としてフィンランドの教育システムが出てきます。
なんと九九暗記を放棄(!)して、代わり電卓を使わせ、
ものの考え方とか調べ方を教えることに時間をかけているようです。
今の日本で(というか著者の母国であるアメリカでも)
「九九をやめます」なんていったら大論争が起きそう。
本当に九九をやめるか、は私もまだ異論がありますが、
(覚えていると便利だから。)
そういう目で今の小学校のカリキュラムを考えてみると、
そこに時間をかけるのかという疑問が湧いてきます。
例えば小4の算数では、
3けた÷2けたの筆算
3けた×3けたの筆算
などを、少なくともここ数週間はかけています。
ん~、確かに仕組みをわかることは大事かもしれない。
しかし・・・大人になってこれを筆算ですること少ないですよね。
数週間かけるなら、他にできることある。
というか、他にしないといけないことがある。
住んでいる都道府県の市町村名をすべて書いてくるという夏休みの宿題もありました。
結構大変な数の市町村でしたが(^^;
何を教えたいのかな???
地理の調べ方を教えたいのか(ならば地形や歴史を一緒に教える)?
行き方を教えたいのか(ならば電車の路線を教える)?
リコーダー
結構長い間やっていますが、不得意な子供もいます。
リコーダーを習うこと自体は反対はしませんが、
問題はこれができないから音楽の点が下がったら
「私は音楽が不得意だった」と思い込んでしまうことだと思います。
リコーダーが不得意だったというだけ。
人生には影響ありません!
譜面が読めないから歌が歌えないという人もよくいますが、
これも違いますよね?
デシリットル
大人になって使いません!!
などなど、思いつくだけでもこれだけ挙げられます。
全部、どうしても必要なものではない。
あればいいけど、という内容です。
でも、限られた時間の中で子どもが社会に出る準備をしないといけない教育で、
そんな悠長なことを言っていてよいのでしょうか?
もちろん教育の見直しはされていないとはいいませんが、
まだまだ足らないと思います。
どういう能力を身に着けてほしくて、
そのために何をどう教えるのかを
もっともっと煮詰める必要があります。
それも頻繁に。
実はこういうことを象徴的に表すもの、
それは、ランドセルだと思います。
こういう絵をみると可愛いな~と思いますが、
実は…
重い。
大人は重いバッグを持たなくなりましたよね。
依頼主(親)と受け手(子ども)が違い、
しかも受け手は経験が限られているので
受け取ったものを無批判に受け取る、という象徴
と私は思っています。
そういう危険性をはらんでいるということを
私たち大人は肝に銘じて「教育」を見直しつづけるべきだと思います。