「習うよりうつれ」―体得ってこういうこと?
体得、ということを意味するのに
「習うより慣れろ」とよく言いますが、
この秋色々ありまして、
さらに進めて「習うよりうつれ」と言い変えたくなりました。
これまでの私は「習う」という過程をこんな風に考えいました。
- 人ができることを見て↓
- それを脳で分析し↓
- 自分の体への指示に書き直して↓
- 指示を体に送り↓
- 実行する
脳を経由するパターン。
これって、多分私だけじゃないですよね?違うでしょうか。
でも、今年出会った古武道の先生は
本当に体の使い方を「触らせて」うつしてくれました。
(びっくりなのですが、本当に瞬時にして今までできなかった筋肉の使い方ができるようになりました。)
そして娘のバレエの先生も
どう見てもうしているとしか思えないことがあります。
娘が目で見て写し取ったのではなく、体から直接うつったとしか...。
とはいえ、自分の目で見ていても、私自身、半信半疑でした。
が!ふとしたことでダメ押しのように同じようなことがありました。
実は私、今、コーチングの講座に行っており(ハートフルコミュニケーションというところデス。(#^.^#))そこで「任せる」ことの大事さを学びました。
でも、私にとってはここがとっても難しかったんです。
例えば、宿題をしない子供に対してはこんな感じで…↓
任せる…任せるんだ…やっていなくても任せたから…何も言わないぞ…
あ~でも見ていられない…いや、ここで口出ししたら任せてないことになる…
あ~~あ~~でも我慢できない!!!
「はやく宿題しなさーい!」(`Д´)
で、自己嫌悪。
頭で分かっていること(口出ししない)をするために「必死で我慢」していました。
それが、学芸大附属小学校で教える沼田晶弘さんの「ぬまっちのクラスが「世界一」の理由」という本を読んで、あ、なんだこの感じ?私の中に生まれたこの感覚は?
ってなったんです。
「任せる」が頭で分かったんじゃなくて感覚的なものとして分かったといえばいいでしょうか。
もちろん、沢山トライして十分な数の失敗(泣)をして多少の「任せる」筋肉が
ついていたのかもしれませんが、それにしてもうつりました。
見事に。
古武道の先生が言うように、
「もうだいじょうぶ。一度うつったらずっとできる」みたいです。
「任せる」感覚がうつってしまったその後は、
こどもと話していても、できないことじゃなくて、できることも注目できて、
「高次元のことができてれば、細かいことは別にいいか」と余裕が出てきた。
嘘みたい。。。
「任せる」ができるようになったおかげか、
こどもも自律的にやってるじゃないですか~。嬉しい~。
どうやら私には学ぶということに固定概念があったようです。。。
「習うよりうつれ」が体得できて、
本当に素晴らしい収穫の秋になりました。!(^^)!